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第3住人
荘司隼也(卒業)
  • 出身地:兵庫県芦屋市
  • 現職:(株)ご近所
  • 前職:まさゆめさかゆめ
  • 得意技:坊主にする
コメント:
2014年5月末でAKB4・・・・、じゃなくて、みんなの家を卒業(追い出された)荘司です。
丹波には生息しておりますので、またどこかで見かけたら(最近の出没スポットはフレッシュさ○う 春日店)
「大丈夫か、元気にやってるか?」と心配してください。
元気にやってます!笑

これからも楽しく笑顔で色々な所に出没致しますので、
どうか温かくお見守りください!!

住人についての紹介文

1990年5月10日生まれ。B型。
兵庫県芦屋市(のスラム街)生まれ、金持ってそうな奴ら大体友だち。

関西、いや全国でも有数の高級住宅街、兵庫県芦屋市で生まれ育つ。

4歳の時に、阪神・淡路大震災で被災し家を失い、親戚の家などを転々とする。
当時の記憶があまりないが、その時のマイブームが
「まじかる☆タルるーとくん」と「ごまちゃん」であったことは確かである。
中でも、救援物資で届くごまちゃんの人形は心の支えであった。

小学3年の時に震災まで住んでいたマンションが立て替えられ、戻ることができた。
それまで荒くれていた性格も落ち着き、パッとしない生活を送る。

小学生の時からサッカーを始め、スポーツをすることが当たり前の生活に。
しかし、冷めていたのか、現実をただただ見ていたのか、サッカー選手という夢は持つことはなかった。

中学3年の頃、親と何気なく見ていた競馬中継で、馬に魅了される。
そして、ひそかに高校卒業したら馬のお世話をする厩務員になろうと決心。
高校入試が自分の人生で最後の入試になるので全力でやりきろうと、
当時の学力では到底届かないと思われていた神戸市立葺合高等学校を第一志望に定める。

それまで、なんとなく今行けるレベルの高校でいいやと思っており、
滑り止めという言葉も知らないくらい高校入試に力を入れていなかった。
友人と話していて「滑り止めどこにするん?」という話題についていけず、
友人が「俺、スマガク(須磨学園)滑り止めかな」という言葉に乗っかり、「俺も俺も」とそのまま須磨学園受験。
(のちに、第一志望の葺合高校よりも偏差値高いことが判明。笑)

しかし、何の偶然か、滑り止めも第一志望も見事に合格。
分けわからんくらい大喜び。

華の高校時代を過ごし、ある時友人と話をしていて、
「馬の仕事楽しそうだけど、怪我して一生馬に乗れなくなって仕事探すとき、高卒に戻っちゃうよ。」
という言葉にハッと気付かされ、
「これは大学行かねば!」
と高卒で厩務員から一転、大学受験に舵を切った高3の春。

どうせ大学行くなら興味のあること勉強したいと調べに調べた結果、
ずーっと生活の一部になっていた「スポーツ」を学べる学部があると知る。

そして、第一志望を同志社大学スポーツ健康科学部に定める。

高校の時も頑張ったら結果出たし、と頑張ったものの、
豪快に落ちる。笑

何とか龍谷大学経営学部のみ合格する。
(龍大の特徴として、大学2年の後期から各学部の専門コースに進むか、また別の4つの特色あるコースに進むか選択できる。
その中の1つにスポーツサイエンスコースというものがあり、そこに行くつもりで受験。)
浪人しようか悩んでいる時、
「そこだけに受かったというのは何かのご縁だから行ってみたらいいんじゃない?」
という、担任の言葉に心動かされ龍谷大学に入学決意する。

不本意な大学入試だったため、
大学生活は思う存分自分のやりたいと思ったことはどんどんやろうと動きまくる。

大学の文化祭実行委員や京都学生祭典実行委員等で活動したり、
サークルの会長、スポーツマネジメントゼミのゼミ長、自分たちで立ち上げた学生団体の代表等、幸運にも組織のリーダー的なことをさせて頂いたり、
社会人フットサルして普段とはまた違った社会人の先輩方と関わりながらスポーツを楽しんだり、
原付で京都から九州1周して帰ってきたり、
NYでヤンキースやメッツの試合や全米オープン観たり、
ヨーロッパ(イタリア、スペイン、フランス)回ってクラシコ、ミラノダービーという超有名ダービーマッチを観戦したり、
鳥○族のアルバイトで全てのポジションできるようになって、調子乗って店長に「全部できるようになってつまんないし辞めようかな~」って言ったら、
「お前に第五(焼き・サブ・ドリンク・ホールではなく)のポジションを与えよう」と新人アルバイトの育成担当をさせて頂いたり(くそ生意気なこと言ってすみませんでした、ポジションを与えてくれて感謝しています!!)、
自分たちで立ち上げたプロジェクトで東日本大震災の義援金を集め、東北の子どもたちにスポーツをする機会作りに役立てられる組織に寄付するだけでなく、その活動のお手伝いをしに東北へボランティアへ行ったり・・・。

超濃厚な4年間を過ごすことができました!!

そんな中、就活をしていてとある行きたい会社に落ちてへこんでいた時に、
「あれ?人に会いに行って『お前おもろいやん、うちの会社来るか?』って言われたらそれも内定出たのと同じやん!
そもそも、スーツ着てみんなと同じように活動してて周りのみんなに勝つこと(内定取ること)無理や。
みんなと違うやり方で戦わないと無理や!」
と、訳の分からんことを思い、内定1社も得ないまま、既存の就活をやめる。

そして、知り合いの社長にお会いしたり、Facebookで情報発信したりしていると、
偶然にも投稿を見たある知り合いの方が篠山市に住むある方面白い方と繋いでくださる。

そこから、有難いことに、
バウムクーヘン屋のオーナーさまからお仕事を頂けたり、
(株)みんなの村の村長さまから、みんなの家に住みなよとお誘い頂けたりして、
あれよあれよという間に、丹波市へ移住。

晴れて、2013年3月、第三住人として、みんなの家入居!!!

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