二日目の朝。6時に目覚ましをかけて起き、二軒隣にあるレンタサイクルを借りて、小布施町内にある温泉、あけびの湯までいくことに。

あけびの湯

朝っぱらからチャリをこぐなんぞ、高校生以来だろうか。

小布施町民の日

それにしても、小布施町民の日なるものを用意しているのは実にいいなと思った。やっぱ地元に愛されてなんぼですよね。

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2000m級の山というのは、やはり見てて威圧感というか、存在感が一味違う。攻めたくなる不思議。温泉は硫黄臭漂う温泉で、体がポッカポカにぬくもってむしろ暑かったが、帰り道は行き道と逆で爽快に坂を下るだけで済んだおかげで、顔面の筋肉がマヒするくらい一瞬で冷えて顔面とれるかと思った。

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中心地に戻って、お約束の10時まで時間があったので、朝ご飯。福栗焼き。美味しかった。
しばらくぷらぷらしたあと、高井鴻山記念館へ向かう。

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館長さんが家に持っていたという資料を洗いざらいもってきていただいた。前日の夜、町長宅で事の経緯をお話している中で、かけつけてくれた小布施町で栗菓子屋さんを営んでいらっしゃる桜井甘精堂の桜井さんも、栗の歴史的背景に興味をもってくださり同席、三人で歴史に迫ることになった。

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まず、5年程前、当時和歌山県日高郡にお住いの、荻野巨舟という方から、“自分が荻野朝忠の末裔であります”との手紙を受け取ったとのこと。まじファンタスティック!事実であれば、相当色んな事実が明らかになるのではないか!
と、思っていた当時の館長が、その末裔の方と名乗る方と会う予定をしていたが、あろうことか会う約束までしていた矢先、お亡くなりになられ、あえず終いであったとのこと。ジーザスクライシス!

いやいや、まじか。まじでか。いやいや、しかし。その末裔の子供がまだ生きてらっしゃるかもしれない。何か話を聞いているかもしれない。まだここに関しては追える可能性がある。

他にも、かれこれ30年程前、丹波市(当時は氷上郡)の方(二名連名)からお手紙が小布施町に届き、内容は、丹波市で丹波栗のルーツについて調べているが、市内の文献をどんだけ読み漁ってももうにっちもさっちもいかない状況にまできていて頭打ちであると。そこで小布施町に何か文献が残っていませんか?というもの。丹波市でもかつて調べていた人がいて、同じように頭打ちになっているということは、恐らくこれは、今丹波市に帰って、正当な手段(図書館等の文献等)で調べていくだけではわからないということになる。で、あれば、ここから先を追及していくとなると、

1、数年前にお亡くなりになられてしまった、荻野朝忠の末裔(荻野巨舟さん)の末裔を探し、何か知らないか、文献をもっていないかを調査する
2、丹波市等、公的なところ以外で文献等が残っていないか探す(高山寺や荻野家の皆様)
3、30年程前に小布施町に手紙をよこしたお二人は今どういう状況なのか追いかける

この辺をやらないことには、どうやら先に進めそうにもないということ。これはなかなか壮大になってきたぞ。ついに探偵ナイトスクープに応募する時がきてしまったかもしれない。

それにしても、世の中色んな本がある。

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荻野史。

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丹波史年表。俺の知らない歴史の話がいっぱい。
そういえば、この三年、丹波で暮らしていくことに精一杯になりすぎて、これまでの過去の歴史についてあまり深く知る機会がなかったなあと。実にいい機会だ。これからついでに丹波の歴史的背景もちゃんと知ろう。

最後に、丹波戦国史という本の中に、館長さんがマークしていた一文がある。

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“蘆田(又は芦田)・赤井・荻野三家は同族で、その祖は信濃国(長野県)高井郡井上村から丹波へ移り住んだ井上大炊介判官代家光(家満)である。”

“家光は保光三年(1158)に丹波芦田庄へ流され、今の兵庫県氷上郡東芦田に住居した。”

井上村というのは、現在の須坂市で、小布施町の隣町にあたる。荻野家はもともと、井上村から流れてきた井上家から派生したということになると、荻野常倫がなぜ、南北朝の戦乱で敗戦後、小布施町に流れついたのか?については、一つの理由にもある。祖先がそこからきたから、と。もはや、それ以外の理由を見つける方が難しいんじゃないかという気もする。

いやはや、これらの文献に記載されていること全てが正しい訳でもないかもしれない。いかんせん、なぜか一昔前の書物はなんでもかんでも断定形で書かれているので、もはや数百年前のことなんぞ、何が正しくて何が正しくないかなんてことをはっきりさせるには、色んな物事を包括した感じで捉えにかからないといけない。

奥が深い、深すぎる。一泊二日で全貌がわかると思っていたのが間違いだった。このテーマは継続して追いかけようと思う。壮大な歴史ロマンに、乞うご期待。

午前中から壮大に頭を使ってくたびれたので、とりあえずお昼ご飯を食べようと思ってお蕎麦屋さん、富蔵家へ突撃。

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くるみ蕎麦なるものを食す。くるみで作られたタレでいただく。タレが想像以上に甘かって、後半ちょっとしんどかった・・・でも蕎麦は美味かった。

昼からは第二町民ツアーに参加。これまた、たまたま先日facebookみてたら、コクリ!ラボで知り合ったメンバーの一人が小布施で第二町民ツアー参加します!的な投稿してて、俺も小布施おるでー的な流れから、じゃあ参加したらええやんということになり、参加。いや、ほんと怖いくらい、世の中何が起こるかわからない。

一日目はある意味、勝手に第二町民ツアー。今回は正式な第二町民ツアー。勝手に回るのと、色々教えてもらいながら回るのと。同じ景色がどう違って見えるのか?一日目は平日。二日目は土曜日。色んな対比ができておもしろいんじゃないかと思いワクワクしながら参加。

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最初、慶應SDMの大宮君の小布施町の歴史的背景の説明を聞く。
一日目、さくっと回ってみて、本当によく創りこまれた町並みやなあと感銘を受けた。ここ数年だけの話でもなく、何十年にも渡ってやってきた感があって。事実、数十年前に、小布施の宝を残そうということで、葛飾北斎の絵を保存する為の北斎館ができてから、その景観を軸に修景事業に着手し、整えていったとのこと。やっぱ、景観は自分たちで創っていかんとなあ。合わせる気がなかったら、合わさる訳ないもんね。

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その後、実際に街歩き。頭にインプットするだけでなく、実際に体験してみるって大事やなと。
昨日とは打って違って、ゆっくり歩いてることもあり、細部に目がいく。

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木が埋め込まれてるなあと思ったら、ちゃんとこの木は栗が使われているとか。“へ~!”の連続。一つ一つが本当にちゃんと、やっぱり創りこまれていて、おもしろい。

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一部、絨毯のような素材が貼られていた。これは早朝歩いていて思った。これがないと、凍結するような朝すべりやすい。うまいこと、必要な機能を搭載し、景観に溶け込んでいる。ほんと素晴らしい。

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細かい道と、オープンガーデンが歩くことを楽しくさせる。歩くのが楽しいと感じるから、歩く人が増える。歩く人が増えるから、商店が栄える。好循環。これらを、今から丹波市の柏原町でも可能かな?やる気次第やけど。すごく参考になる地域だと思う、小布施は。

ここから車で移動し、浄光寺へ。

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グランピングやらスラックライン等、おもろいことを仕掛けまくる寺。噂には聞いていた、空中テントのテントサイルもすげー気持ちよさげ。

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一番感銘を受けたのは、副住職の子供らも仕事に関わらせて、自分たちでやらせてみるということをさせていること。めっちゃいいね。俺も自分の子供にはそういうことをさせてみたい。

何よりもっと感銘を受けたのは、寺の奥にあった薬師堂。

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丹波市にも山本薬師堂というのがあり、パッと見似過ぎててびっくり。薬師堂って一言でいっても、Googleのイメージ検索で調べてもすぐわかる通り、同じようなつくりの薬師堂は稀。で、なんでかまた、この小布施町と丹波市の薬師堂が妙に似ていることにびっくり。因果関係があるようにしか思えない。

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丹波の薬師堂がこれ。浄光寺がある山が雁田山。荻野常倫の居た二十端城があったところ。この二日間、完全に脳みそがかつてないほどの歴史ロマンモードにスイッチが入っていて、近年最新のスラックラインやらテントサイルやらが全然入ってこない不思議現象が自分の中に巻き起こっていた。ほんまはめちゃくちゃ興味あるんやけど、今回ばっかりはそこにスイッチが入り切らなかった。歴史ロマンが深すぎた。

また、落ち着いて楽しみにこよう。

夜は懇親会からの懇親会からの懇親会くらいまでやって終了。
小布施の町の人も次々と参戦。いいなあ、ほんと、会場まで歩いてこれて、歩いて帰るって。ほんとうらやましい。

うらやましさMAX、素敵さMAXの小布施町でございました。
やばいくらい充実した二日間でした。ありがとう、また来ます。必ず。