前回の丹波市議会議員選挙から3年経ちましたか、そうですか。

次の選挙はこっから1年後ですねー。早いもんだ。

未だ政治の世界には微塵も興味もてないけど、前回の時は丹波市での選挙権すらなかったしなー笑
今回は選挙権あるしなー。次の選挙は正真正銘、丹波市民として真っ向から関われる機会になる訳でね。
ほんと、選挙の応援にはきてたけど、選挙結果が出た時もまだ丹波にくることになるとは全く考えてなかったし、話もなかったから選挙活動が終わったらほなさいならの予定だったんでね。

丹波にきてからびっくりしたのは、議員さんとの距離がめっちゃ近いってことですな。失礼上等で率直に言いますが、その辺の村のおっちゃんレベルで近い笑
吹田市の時は一切関わりなかったけど。これも田舎ならではというものなんか丹波が独特なのかそれとも今の俺だからかしらんけど、まあ近い。

議員さんってのはどうしても市全体のことで動いてはるので、当然ながら自分だけの都合ってのは通る訳もなく、距離が近いから何かあるかってまあないよ。俺は株式会社で働いてて、彼らは議員として働いてる。それだけの話ってくらい。

それ考えたら結構不思議やんね。
昔ながらの選挙って言えば、何か困ってる村があって、その解決の為に村中から候補者あげて、立候補者出してそこに票集めてっていう感じでやってて。村の期待を一身に背負ってようが、結局市全体のことを考えて動かないといけない立場になっちゃうからたかだか1集落の事情が全体に適用されるかなんてわかんないのにね。運よくなのか、都合よくなのかは知らんけど、そういった自分たちの事情がうまいこと市全体の都合としてとらえられたなら叶うって感じなんでしょうかね。知らんけど。
こういう流れで“とんだ期待外れやで!”とか言われてる議員さんおったらまじ可哀想やなあ笑
まあ当然自分都合のことばかり考えている議員さんがおったら次の選挙で市民としてはちゃんとはじかないといけないけど。

今年に入ってから、市との協同って感じで丹波市の移住相談窓口やってる訳ですが、この絡みで多分、普通に生活している一般市民よりは行政とも議員さんたちとも関わる機会が多いから、当然のことながら移住相談窓口をどうやっていくか?どうしていくべきか?なんていう話は市全体の話だから彼らに色々提言してみたりもする。
市全体の最適を考えて動いてはる方々なので、俺も当然ながら全体を通した最善策を提示してみたりしている。採択されるかはわからない。こっちにその決定権はないから。決定権が欲しいなら、じゃあ自分が選挙に立候補しなよってことになる。その立場を左右するイベントがこっからあと1年後。

これまで本当に興味がもてなかった政治というものというか、選挙。
何もかもが自分次第でもある選挙。
次はちゃんと事前に考えて動く猶予もあるし、何よりちゃんと市民として投票する権利も持ち合わせている。なので、ちゃんと真っ向から向き合おうと思っている。
なんでかって?意外なくらい、政治が身近やからやで。身近過ぎて、“政治”って、“政治”って感じじゃないねん。自分たちの住んでいる地域をどうしていくか?くらいの距離感ですねん。

あと、
こっちにきてから3年。うまいこといってる人もいればそうでない人もいる。
(自分もうまいこといってんのかいってないのかさっぱりわからんけど笑)
次こそ、自分にとっては色んな物事を盤石の体制で臨める4年間を創れる機会ということになる。そういう意味で、次の選挙という機会は大事にしたいと思っている。

だから、今、正直なところ市全体のことについて話をしていても、どこか他人行儀というか、超客観的というか、ええんちゃう?なるようにしかならんし的な節が自分の中にある。それは3年前、吹田市民やったから。なので次は、そういった感覚をなくすいい機会。

選挙て、そもそも“投票する”ってことは“自分が選挙に立候補しない代わりに誰かに出てもらう”際に生じる行動であって、誰かに投票した時点でどういう4年間が過ごされてどういう結果がもたらされるかがある程度他人任せになるんですから、その大前提を理解した上で日々の市民としての生活がある訳で。
(前回は俺自身投票権すらなかったからほんと申し訳ないけど、そうはいっても全力で頑張ってみてるけど、やっぱりどこか究極のところで他人行儀。しゃーないよね、選挙権なかったのが紛れもない事実やから。)

だから“投票しない”人は“どういう結果であっても無条件で受け入れるし異議なくお金払う”という懐の深い人な訳ですし、特定の誰かに投票するということはその人に“4年間自分の代わりに議員をお願いする”訳なので、何か行政に対して文句があったり議員さんに対して文句があったりとか、どうこういうのも全て4年後にしましょうよっていうことになる。もっというと、投票した人については“4年間自分の代わりに議員をお願いした”時点で、その人が実際問題議員になってどういう人になろうがどう動く人であろうが、うまいこと使いましょう(というかうまいこと使う以外の手段がなくなる)ということになる。だって最初にお願いしちゃったんだから。

自分は投票しないならそのつもりで全面的に丸投げでお任せするのか、それとも特定の誰かに投票してその人に4年間お願いするのか。全部選べるし、全部自分が選んだ結果やないかと。
なもんで、

応援していた議員さんが期待を裏切るような行動ばっかりしているといった話は、結婚してみたら予想外に旦那が働かないやつだったとか嫁が一切家事せえへんやつだった的な話と似ていると思っていて、期待通りの結婚生活であるかどうかのその前に“あんたがその相手選んだんでしょ”っていうこと。
就職前に説明会で聞いてた話と実態が全然違っててこの会社どブラック企業でしたわってのも一緒。“あんたがその会社選んだんでしょ”って話。
“この件はお前に任せた!”とかいいながら全然任せない性質の悪い人と一緒。

つまり、選んだのは自分なんだから、もし万が一自分の都合の悪い方に行政や議会が動いていこうとしているもんなら、任せてしまったといってもなんとかできる余地はふんだんにある訳だから自分でなんとかしましょうよという話。
どういう方向に世の中や周囲や環境が動いていこうが、最終的な結果は自分にとっていい結果になるようにもっていくようにするもんだ。

20代の社会人生活の中で、自分の人生のうまいこといかなさを他人のせいにする人もたくさんみてきて、できたらもうそういう人らとは付き合わないで済む世界に生きたいと思っていて、自分のことを、自分次第で、自分が決めたこととして生きていける人らと一緒に生きたいと思う。決して今の自分が完璧に人のせいにできずに生きているかっていわれると100%そうだとは言い切れないところもあるからこそ余計に、そういうのを辞めたいと思っているしそういった人らに囲まれていると自分もまだまだあかんなって思えてしっかり生きていけるお手本にもなるし。

やっぱり、俺は別に聖人君主でもないし、全ての人と仲良くなって、みんなから好かれる人生を歩もうとかさっぱり思わないし、当然ながら嫌いなやつもおれば、できることなら今生では会いたくないと思うやつもおるし。神様じゃないし。いちいちめんどくさいやつに囲まれて生きていこうとはこれっぽっちも思わない。

だから、別にいいじゃないすか、
例えばFBのプロフィール写真をトリコロールにしようがしまいが、別に哀悼の意を表しただけのつもりだったり単純にフランスが好きだってだけのところに思いがけずテロが自分のところに来たってそれはそれで本人が選んだ道なんでいいんでしょうから、やんややんやゆうても本人たちはそれでいいんですからいいじゃないすか。

って、言えるくらい、各自が全部自分で選んだ選択肢を生きて、そうやって生きてるっていうのが大前提になる世界が来たら、別に周囲がどこで何をどうしようがほっとけよそいつの人生やしって言える。

“自分で決めたんやったらそれでええんちゃうの”

っていう、世界観が欲しい。

とにかく、あまり好きになれないのだ。自分自身にもそういうところがあるからこそ余計にそう思うんやろうきっと。
自分がこうしたい!やりたい!とかいっていたのにいとも簡単に諦めてしまうこととか、1年とか3年は死ぬ気でやります!とかいってたけど半年もたたずにやっぱ無理でしたとかまだ半年もたってない段階で判断しちゃうこととか。やり切ると決めたことをやり切らずに終わることだったり。
そりゃあ間違った選択をしてしまった時は軌道修正が必要な場合もある。ただ、その“間違った選択をしてしまった”という判断はどの時点で行われたものなのか?
間違った選択をしてしまったかもしれないけどその後意地と気合で“最初はまじどうなるかと思ったけどやっぱこっち選んでてまじよかった”という結果が手に入るまでもっていくのか、それは全て自分次第じゃないかと思う。やり切った先にしか見えない景色があるし、結局のところ成功か失敗かなんていうのはどこかの時点で切り取ってみた場合の瞬間的観測結果でしかないし、そんなどうでもいいことにいちいち一喜一憂している暇があったらさっさと次のアクションにでようぜっていうスタンスが気持ちいい。

自分たちが生きていくのに気持ちいい世界観。
創れると思いますよ、丹波市は。十分。

次の機会は1年後。この1年どう動くかで、決まるんちゃうかな。
次の4年はほっとく訳にはいかなくなるからなー。丹波市も合併特例債も尽きて順調にいけば赤字に転落するタイミングだそうやし、何より嫁とがきんちょが合流するし。
自分たちが暮らしていく地域やから、暮らしやすくしていきたいしね。