こないだ、とある田舎のとあるところの、とある人からの相談があって伺いに。
内容は、自身の高齢化によって管理しきれなくなってきた田んぼと畑について。

集落自体は100戸以上ある。ただ、若い人がいない。自分たちの息子も外に出て行って家を建て、帰ってくる見込みもない。残された娘も嫁いでいない。農業やんのが嫌やっつって、離れていったと。

決して専業農家ではないけど、家庭菜園というにはあまりにも広すぎる田んぼと畑。しかし専業で生きていくには狭く、おまけにあちこちに点在している。自身の移動も、農機具の移動も一苦労。

集落を見渡せば、他にも似たような状況にある先はここだけじゃなく、ゆうに10件以上あるっぽい。

第三者的観点からすれば、一緒に打開策考えたらええやん!と思うんやけど、そうもいかないと。

距離が近ければ近いほど、もっといえば、隣合えば隣合うほど、これまでの経緯も、経緯がありすぎて、本来であれば俺のような第三者に話すべき話ではないのに、集落内で安心して本音がぶつけられる先がなかったりするのだ。
境界線というのは、いつの時代もギッチギチにぶつかり合うものなんだなと。

もちろん、本音をぶちまけれないのは、脈々と当たり前のように受け継がれてきた、立場という概念も影響する。自治会長じゃないから発言権がないんや、とか、理事じゃないから、とか、ヒラやから、とか。

ほんまは、立場もくそもなく、集落内で話しあえれば一番早いのに、だ。

これは、特段今回に限った話ではなくて、これまでもいくつかの先で同じような話を聞いてる。決してこの集落に限った話じゃない。

『ぶっちゃけ、本音はどれですか?どうするのが、個人的に満足いく結果ですか?』と問えば、

◆誰でもいいから手放してしまいたい
◆集落の皆に迷惑をかけたくない
◆相続する先に迷惑かけられない
などなど

色んな答えがでてくる。掘り下げていけば、例えば手放してどうなりたいんすか?と問えば、解放されて楽になりたいんやということもあるし、
集落の皆は詰まる所あなたの田んぼと畑なのに何か関係ありますか?と問えば関係ないんやけど関係あるんやということもあるし、掘り下げていけばいくほど目に見えない何かに雁字搦めになっているのがよくわかる。

この状況というのはつまり、
一個人としての自分と、集落の一員としての自分が、せめぎ合っていて、自身でも何をどうすれば解消されるのか?がはっきり掴めていないんやろなと感じている。

在り方が違う自分が存在して、それぞれの自分が違う答えを出しているから、
それが、同じ自分から湧いてきているから、迷い、悩み、ねじれていく。

“個人的に”と切り分けて問いてみても、切り分けれない。

『どれが本音なのか?』
では答えがでない状態。

これは、どっちも、どれも本音だからだ。

Yes or Noでは答えきれない、二者択一的ではない、明確なようで明確じゃない、そういう答えもあるのだ。

こうなってくると、Iターン的第三者に託したい、となる訳だが、ここで一つ問いておきたくなる。

『もし、託す相手が息子やったらどないするん?』

自分はもう手間ばっかりで疲れてきた、田んぼも畑も点在してて行き来が大変、いちいち草刈りだってせなあかん、同じ集落の人からちゃんと管理せぇよって言われたくないからせっせと何回も草を刈り手入れする、この畑と田んぼだけでは専業農家としては暮らしていけない、家庭菜園としては広すぎる。土地が隣接する先があれば越境せぇへんように境界線を削らないようにトラクター走らせる時も気をつかって十二分に間をあける、米作る時は毎度水の奪い合いのようになってみんながみんな我田引水に躍起になって神経すり減らし、かと思えば減反の兼ね合いでノルマのように転作をどうすると集落の人と協議し等々。

『そう、思ってて、その状態で息子に託せますか?
それを託そうとして、息子はありがとう親父、感謝するよって言う?』

と、問いたくなる。別に返答はどっちでもいい。問いたくなる。

そこから全てが動き始める気がしてやまない。

ここんとこ自分の中で沸き起こってくる“今しかできない感”は、こういう様々な人からの色んな本音がスッと飛んでくる立ち位置にいれているからに他ならなくて、そういう場面で直球を投げて受け取ってもらえるのは今しかないんじゃないかと、思う訳です、はい。

あとこれは、いつの時代でもどこの世界でも同じことやと思うけど、本当に何か解決したい物事があって、自分ではどうにもならず、人に解決をお願いする時は、相談相手に同情の念を与えてはいけない。

大変なのは重々わかる。わかるよ。

でも、同情させたら、同じ気持ちに立たせたら、あなたと同じように雁字搦めの脳みそになってその人も妥当な案だせなくなるよ。

同情してほしいのか?
解決してほしいのか?

せめてそこだけでも、自分ではっきり掴んでおいてくれると、ますます話が早く動くと思いますよ。
両方なら両方でも構わないんです。どっちゃでもいいです。どっちでもよくて、
同情してほしいなら同情してくれ、解決してほしいなら解決してくれ、そうはっきりといえるのが大事。

相談もちかけといて同情してくれなくて爆ギレして逃走する現場を、これまで生きてきて何回か見たこと聞いたことあるけど、そういう論外な事態は避けましょう。

特にさ、いい年こいたオトナはさ。
かっこよく生きましょうや。

と、いうようなことを、粛々と、自分にも言い聞かせつつ生きております、はい。