午前中、すでに丹波にきて1年がたとうとしているお方が相談に来訪。

新築を建てる際のもろもろの相談。
すでに皆さんから信頼されて活躍してはる人なので、うまくいくといいなあ。

夜はうちのカフェで横山君主催のそば&コーヒーのイベントがあったけど、急きょ相談したいという人が現れ夜中に家で話を聴くことに。
これからの仕事や、生き方について。

自分自身、どういう生き方がしたいか?と問われれば、

“おもしろいことがしたい”

“かっこよく生きたい”

“やると決めたことをやりきる”

この三つの軸が大半を占めていて。

おもしろくないことには手をつけたくない。かっこ悪いと思うことはしたくない。かっこ悪い人間になりたくない。
やると決めたことを匙投げたくない。やり切りたい。

例えば、どこかに就職して、働いてたけど職場の人とウマがあわないからやめたいとか、それはダサすぎて嫌。
どういう流れであったにせよ、そこに就職すると決めたのは自分。決めたことを、他の人と合わなかったからとか、最悪嫌われすぎて自分のやりたいことができなかったからとか、外部要因でやめるというのはかっこ悪すぎて死にたくなる。だって、やりきれなかった自分の力不足でしょ?それは。

会社にきてくれないか?と誘われたから入ったけど、なんか方向が違ったらやめる。それもダサいんだ。自分が入ると決めた時点で、成し遂げたいもの、手に入れたい結果を定め、それを手に入れるまでやり切る。やり切らないのは、口だけ野郎になるから嫌。

何1つ、やり切らないまま、自分都合で、他に自分のやりたいことが見つかりました、なのでもう今やってることは全然違うのでやめますというのは、あまりにもかっこ悪すぎてそういう人生は歩みたくない。やります、といって、やり切らないオトナになりたくない。そんなやつは5万とみてきた。それを見て、かっこ悪いと感じてきたから、やっぱりそういうのはやめとこうと思う。

究極のところ、どんだけ相手が親しい間柄であっても、どんだけ近しい身内であっても、それこそ結婚相手でも、他人。自分じゃない。

だから、別にどういう方向に行こうが、自分には全然関係ない話。好きなようにやればいいと思うよ。

可能性は無限。なんだってできるよ、世の中のほとんどのことは。

ただ、

時間は有限。

限られているからこそ、“いつまでにやり切る、結果を持つ”ということをお互いに約束し、お互いに追い切ることに時間を費やし、労力を割き、結果を出し、共有ことに、お互い存在価値を感じられるんだと思っている。途中でどんだけ、自分の人生とはお株違いだとわかったとしても、決めたことに時間を使うから、そこに対して相手も感謝を抱くし、やってくれて有難うという気持ちが芽生える。有限である時間という資源を割かせていることになるから。

“本当にやり切ったんか?”

“自分だけのダサい勘違いじゃないか?”

ちゃんと、聴いてみいな、自分に。

自分自身の、本心と現実のギャップほど、生き心地の悪いもんはないからな。

同じ男として生まれて、同じ社会人としてのフィールドに立っている以上、俺はダサい大人になってほしくないからやり切れ、と、思うよ。何事も。